色々な自分、かっこいい自分をおろすこと

人生

最近自分の中に色々な自分がいると感じています。

子供の頃のお調子者だった自分がいます。

今でもその頃の自分が出てくることがあります。

また仕事でお客様対応をしている自分もいます。

そして強い自分というか、言葉ではなく目で語るような、ある意味かっこいい自分もいます。

私はそれは自分のハイヤーセルフというか、本当の自分ではないか、と思ったりもしました。

そしてそれを自分にしっかりとおろしてみたいな、とも思いました。

しかしその自分がおりた状態で応対した人は、その私と接して、「恐怖でエネルギーが吸い取られる感じがした」、と言いました。

「それは本当の自分ではなく、穏やかでニコニコしている自分が本当の自分だよ」、と言われました。

しかし他の人(訪問看護の看護師)にも、その自分がおりた状態で目で話したところ、「別に怖くもないし、エネルギーが吸い取られているとも感じなかったし、その目を見て、あー何か訴えかけたいんだな、と感じた」、と言いました。

ある人は、その自分がおりた状態を、「それは本当の自分じゃないよ」、と否定しましたが、よく考えたらそれは本当の自分の一つなのです。

自分にはそういう側面を持った自分もいる。

それを否定してはいけない。

それは人格の否定になる。

どこか一部を取り除いた自分というものはない。

全ての自分を含んで、トータルで自分なのです。

商売に絡む人間関係のことを、父親でもある、うちの会社の会長に聞くと、「自分達は商品を媒介として、人格の交換をしている」、と言われました。

人間関係の間には、商品という媒介物があるが、それを通して人格を交換している。

自分の表現する人格、そして相手の表現する人格。

お互い高め合えるような、人格の表現、交換をしたいです。

冒頭に話したように、自分には色々な自分がいるんだと思います。

そのどれか一つだけを切り取って自分を表現するのではなく、トータルの自分を人格として表現したいです。

そして自分も、相手のトータルの自分を、人格として受け取りたいです。

それはとても味わい深いものだと思います。

自分が自分の人格を表現することも、相手の表現する人格を受け取ることも、その世界の深さは無限大のような気がします。

私はなんとなく、これから人生を歩んでいくのに目指す世界は、その世界じゃないかな、と感じています。

最近の自分の気づきを表現してみました。

自分にとってはそういう無限大の人格の世界に気づいたことは、それまで感じなかった、新しい世界の発見でした。

自分も色々な人格を持った自分を、トータルの一つの人格としておろす。

相手の人格も発見する。

その表現するところを感じ取る。

そういう意識で、今後生きてみたいと思います。

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